芦屋で活躍していて、阪神大震災で不幸を背負ってしまった叔父が、手遅れの末期ガンでなくなりました。
体の調子が悪い、体が痛いと言って車で病院まで行きましたが、即入院となり、その10日後に逝ってしまいましたね。
77歳でしたね。小生の小さい頃に、泳げもしないのに池の真ん中に放り込んで、溺れさせて泳ぎを教えてくれましたね。また川遊びや山遊びも確りと叩き込んでくれた叔父でした。亡父の年の離れた末弟でして、小生を弟のよう可愛がってくれましたね。 当時では、珍しく大学へゆきましたね。その後も色々活躍していましたね。芦屋に居を構えて、5人の子供達にも恵まれていました。
阪神大震災で、孫(当時10歳)を亡くし、事業も総てなくしましたね。子供達も各地に散って働きだしましたね。
その後は気力が失せたのでしょうか、芦屋の市営団地で、老夫婦で暮らしていたようです。
子供達も驚いたように集まってきましたが、家族葬ということで、団地で細々と叔父を送ったようです。
愚妻と一緒に駆けつけましたが、子供達を励ますしかなかったです。
「叔父が生まれ育った田舎にいるから、いつでも遊びに来なさいよ。」と各地で頑張りなさいよですね。
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