** my spirit note 3 **


<<こころのあしあと***by saahko***2006.7〜>>
1994年12月
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平成6年12月9日
要するに、私はごはんを避けてきてたんだ、ずっと。で、毎食ごはんをなるべく避けて・避けて、代わりにパンとかで軽く済ましてたんだ。(私はごはんを食べなければ「やせる」って信じてたから。)でも、ごはんやパンはエネルギー源でしょ?でね、結局そんな事しててもやせなくってさ、それはきっと、ごはんを食べない分、パンでは満たされないカロリーを何か、パンやケーキ、甘いもので摂取してたんだよね、きっと。以前の、これまでの私は、ごはんを食べないで、他のものを食べておきながら、「何で私ってあんまり食べてないのに太るんやろ・・・?」って思ってた。ごはんを避けることで自分は食べていないつもりでいたけど、実際には甘いものとかいろいろ食べてたんだよね。うんうん。
私はごはんを禁じ、避けることで、食べていない気になってたんだ。自分では食べていないつもりでいたんだ。実際にはその少ないごはん以外のところでたくさん食べていたにも関わらず、ごはんさえ食べなかったら太らない!やせる!って、そう信じてたんだ。たとえ甘いものとか食べていたとしても。ほんで自分ではごはんを避けているからやせるはず!って信じてて、やせる事を期待してて―・・・。でも実際にはそうやってたくさん食べているから、やせるどころか太ったりして、「なんでやろ?何で太ってんろ?ごはん食べてへんのに・・・。」って思ってたんだ。はぁ〜〜〜〜。なんという思考パターン。。。

思い込みを崩していこう。
「お米を食べへんかったらやせる」っていう考え方の間違い。
えっと、まって。言い換える。
「お米を食べたら太る」という思い込みを崩す。

まず、昔の生活をみたらこれは間違いだってわかるよね。
小さい頃とかって、私毎日毎日毎食毎食ごはんたべてたよ。でも太ってなかったやん?それにお姉ちゃんみてみ。いっつもちゃんとごはん食べてても、全然太ってへんやん。
「ごはん食べたら太る」っていうのは間違い。0.K?―O.K!

「ごはん食べへんかったらやせる」「ごはん食べたら太る」って思い込んでる私は太ってて、普通にごはんを食べてるお姉ちゃんはやせてるやん?もしな、私の思い込みの方が正しいならば、私がやせてて、お姉ちゃんが太ってるよ。うん。でも実際には現実として、私は太ってて、お姉ちゃんはやせてるやん?そう。だから、私のその思い込みの考え方が間違ってるって事よ。
そ。つまり、

「ごはん食べへんかったらやせる」っていうのも、
「ごはん食べたら太る」っていうのも間違いなんだ!

それに今はやせるために生きてる訳ちゃうし、太る事を恐れて生きてる訳でもない。だからさ、今までやせるためにごはん食べずにいたし、また、太る事を恐れていたためにごはんを食べずにいたけど、やせるために生きてるのではなく、そしてまた太るのを恐れてるんじゃないのなら、「ごはん」食べたって平気でしょ?そう思わない??―うん。そう思う。

―――そうやんなあ。うん。そうやわ。
私、やせるためにごはん避けてきてた。
んで、太る事を恐れて、ごはんを避けてきてた。
そうやん。でも今は、やせるために生きてるんちゃうし、それに太る事を恐れている訳ちゃうんやし、もうそうやって今までのようにごはんを避ける必要はないって事か。うん。そうや、そうやわ。うんうん。そうやな、だって今は、やせるために生きてるんとちゃうんやもん。太る事を恐れてへんもん。そうやん。ごはん食べるの、平気なんや。うん!そうなんや。そうや。もうこれからはごはんを避けるのよそう!うん!

そうか。そうなんや。私の体はdietした事で「食べなくなる事への不安」を記憶してたけど、でもそれ以前の、きちんと食事してた頃の「食べる事への安心感」だって、ちゃんと記憶している、うん!大丈夫!!!
1994年12月9日(金) No.187

続き1
さて、ごはんの話に戻ろう。
私は今までろくにごはんを食べてこなかったから、胃腸が弱ってるんだヮ。きっと。ごはんを消化しきれずにいるんじゃない?ごはんを食べるとすごく胃が重たく感じるでしょ?昔は平気で食べていたのにね。でも大丈夫。ごはんをしっかり食べてた頃の記憶を、ちゃんと私の体は覚えているから。きっとちゃんと食べられるようになる!今は急にはしんどいから(うん。確かにお腹がすぐにいっぱいになる。)徐々にでいいし、ごはんを食べるようにしよう。訓練やと思って、少しずつ・少しずつゆっくりでええし、良く噛んで、ごはんを食べるようにしよ。ねっ。大丈夫。そのうちしっかりと食べられるようになるから。もうdietなんてしなくていいから。しっかりとごはんを食べていこう。なっ。ごはんたべよう、ねっ。

今までカロリー源であるお米をしっかりと食べてへんかったし、私はいつもカロリー不足やったんやと思う。そやし、ついついカロリーを得ようとして、ケーキとかお菓子とかで満たそうとしてたんやと思う。だって私の体は、昔からごはんを食べてきてたから、私にとってエネルギー源は「ごはんだ」って、きっと体が記憶してると思う。だから、ごはんを避けて他のものでカロリーをとっても、私にとってのエネルギー源である「ごはん」が入ってこないから、いつもカロリー不足で、たくさん食べて満たそうとしてたんやと思う。そのカロリー不足を他のもので埋めようとしてたから、量をたくさん摂ったんやと思う。うん。でも安心して。ごはんちゃんと食べるから。もうdietなんてしなくていいから、ごはんたべよう!

そうやわ。私にとってのエネルギー源であるごはんを避けて、パンとか食べてたし、私の体はエネルギー不足やったんや!私の体はごはんを欲してたんや!なのに入ってくるものはごはん以外のものやから、満たされへんかったんやろうなあ、きっと。たとえごはん以外のものを食べてカロリーオーバーしてても、満たされてなかったんやろうな。きっと効率が悪かったんやろうなぁ。
1994年12月9日(金) No.188

続き2
お姉ちゃんやお母さんについて。。。

私は必要以上に、お姉ちゃんやお母さんのことを怖がったり恐れたりしている。でもそれは、私の中のイメージの「お姉ちゃん」であって、私が恐れているお姉ちゃんは、きっと「今のお姉ちゃん」とは異なると思う。私が恐れているのは、きっと「昔のお姉ちゃん」だ。「今のお姉ちゃん」じゃない。

最近いろいろ話しててわかるやろ?
お姉ちゃんは私がイメージしてるような人じゃないなぁって。

そうよね。22年生きてきて、私がこうやって変化してきたように、それと同じ年月がお姉ちゃんにも流れてて、今のお姉ちゃんが、私が恐れていた昔のお姉ちゃんのままな訳がないよねぇ。うん。お姉ちゃんも変化してるはずよねぇ。そうよね。そっか。もう恐れることないよね。今には「今のお姉ちゃん」が存在するんだもんね。昔の、私が小さい頃の「お姉ちゃん」じゃなく、今には今のお姉ちゃんが存在するんだよね。そっか。昔のイメージでお姉ちゃんを見るのではなくって、「今のお姉ちゃん」をみよう。もう怖がるのはよそう。うん。



もうごはんを食べる事にも、何の抵抗もないな。うん。
だって私はごはんを欲しててんもん。ずっと。
そして今はごはんを食べてもいい、食べられる状況にあるんやもん。
もう自然に食べる事が出来るよな。うん。

絵も音楽も一緒。
絵も音楽も、私はずっとやりたかった。
そして今は、絵も音楽もやってもいい、そしてやれる環境にあるんやもん。
それも思いのまま、自然にやったらいい。

ごはんを「食べたい」と私が欲していて、食べてもいい状況で、食べられる環境にあるんやもん。
絵も音楽も、私がそれを「やりたい」と欲してて、やってもいい状況で、やれる環境にいるんやもん。
ごはんを食べたかったら食べたらいいし、
絵や音楽も、やりたかったらやったらいい。
        O.K?−O.K!!!
1994年12月9日(金) No.189

続き3
食生活における6年間のブランク(摂食の問題を抱えて6年)。
今まで私はその6年間を、「6年間も!」と思っていた。私が生きてきた22年間の中の6年間。6/22も、私は悩んできたって思ってた。専門学校をやめる時、先生に、「35歳のおれにとっての5年は、1/7やけど、20歳のきみにとっての5年間は1/4になるもんな。しんどかったと思う。」と言われた。その時、私も「ホントに1/4も!」って思った。

ん。でも考えてごらん??
22年生きてきたうちの6年間でしょ?
算数のもんだい。22−6は、こたえ16年間。
そか。食生活においては、16年はちゃんと普通に生活できてたんだ。
22年のうち、16年はちゃんと食べてたんだよ。
16年と6年でしょ??ほら、大丈夫。
「6年も!」と思うのか、「たったの6年!」と思うのか?の違い。
どう認識するかは私次第!

大丈夫!人生まだまだこれから!
摂食だった期間にとらわれることない!
人生はこれからもずっと・ずっと続いてる!!!ん!

そうだね。こうやって考えるとさ、
今までのその6年間っていうのを、とっても重たく感じてたけど、そうじゃないんだって事がわかるね。―うん。まだまだこれからだもんね、私の人生!大丈夫。私は生きていける。もう大丈夫。私はやっていける。しっかりと生きていける!よしっっ。
1994年12月9日(金) No.190

「今の私」から〜2009. 2.2.〜
・・・それにしても、自分自身への禁止事項がとっても多い。(^^;)当時の日記を書き起こしながら、「当時の私はゴチャゴチャと、自分を納得させるためにいろいろ書いてるけど、これまでごはん(米)を禁じ、避けてきてたから、ホントはずっと、ごはんが食べたかったんだろうな〜」と思いました。
そして、
「食べたかったら食べたらいいんだよ〜」って、もし、当時の私に逢えるなら、今の私が自分の言葉でこんな風に伝えてあげられるのにな〜。って思いました。

「やりたい事をやったらいい」と、“今の私”は“昔の私”へ言ってあげられるのに、“今の私”はやっぱりどこかで「私は本当に自分のやりたい事をやってもいいのかな?」なんて、思ってたりします。“今の私”よりも“未来にいる私”は、それでもやっぱり「好きな事、やりたい事をやってもいいんだよ」と、“今の私”に投げかけてくれているのかしら・・・。なんて、ちょっと頭の中がタイムトリップしてしまいました。
自分の好きな事、やりたい事に対し、なんでこう後ろめたいような、どこかでやっちゃいけないようなそんな気持ちになるのは何故なんだろう・・・?うん。やりたい事はやったらいいのにね。

お姉ちゃんやお母さんという存在について、ちょっと書いてありますが、
昔、幼い頃一緒に過ごしていた時の記憶って、もしかしたらずっと無意識下で残ってるような、そんな気がします。で、そういう場に入った時に、もう自分は昔の「幼い自分」ではないのに、当時の接し方・幼い頃に身につけたやり方で自分自身を守ろうとしてしまいます。(きっとこれが『聖なる予言』等でいわれている“パワーゲーム”なんだろうな。うん。)この状態に“気づくこと“自体が難しいですが、自分の在り方・相手との関係に“気づくこと”により、昔身につけたやり方に縛られる事なく、自分自身の在り方を自由に選び取っていけるのだと思います。(ちょっと難しい話になってしまいました。)

それから、私自身の摂食を抱えていた期間について書いてありますが、
「あなたは6年間だったからいいけれど、あなたよりも期間の長い私はどうなのよ?」とお思いの方も、きっとおられると思います。
今の私は、当時の私同様「歌う事が好き」なのですが、実際にちゃんと歌ってきた期間って、ライブ活動をしていたここ約3年くらいなのです。振り返ると、私は人生の大半の時間を、摂食から始まり〜自己探求のために費やしてきました。やっぱり、私も、「あああ。なんで〜〜???実際に歌ってこなかった期間が悔やまれる〜〜〜」と思いました。

だけど、これから先。前を向いた時。

「今・ここから」歩き出せる道はいくらでもあるのに、そのやってこなかった期間;例えば、摂食を抱えてきた期間(=過去)にとらわれる事なんてない、そんなのもったいない!大切なのは「今・ここから」の歩みなんだ!!って、今これを書きながら、同時進行で今の自分を励ましています〜。

今から20年経って「56歳の私」が振り返ってみれば、「36歳の今の私」はまだ十分若いのかもしれないな、何だって出来るのかもしれないな。なんて、思います。(^^)

やっぱり、過去の日記を書き起こしながら、今の私が励まされている、そんな風に感じます☆過去の私のがんばりに感謝!
1994年12月9日(金) No.191

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