我が家の周辺には、自転車にいける範囲に6件ものBOOKOFF(雑色・蒲田・糀谷・港町・多摩川大橋R1号沿い・川崎駅前)が存在する。さらに、横浜までの定期が残っているため、鶴見・横浜の2店舗にもすぐに行かれる。 せっかくなので1日で全店舗を回って欲しいだけ本を買ってみようと思い立ったが、横浜店の開店が11時と遅く予定が狂ったため何度も京急線を乗り換えねばならず非常に疲れたので3店舗(川崎駅前・鶴見・横浜)しか巡る気になれなかった。いつ雨が降ってもおかしくないような空模様だった事もあり、また体力も無かったので3店舗で計32冊購入して帰宅。 明日残りの5店舗をantで回る予定である。体力持つかなぁ…
まず『カイン 自分の弱さに悩むきみへ』を読了。
・きみは、骨の髄までやさしいのだが、そのやさしさはきみから生きてゆく力を削ぎ落とすのだ・だから、きみが真に生きてゆこうとするなら、きみのからだにこびりつき沈殿しているやさしさを、まずは無理にでも振り落とさねばならないんだ。 ・きみは「いい子」だった。いまでも「いい子」だ。そして、「いい子」とは大人たちが結託して作ってきた一つの犠牲者なんだ。 ・みんなして、組織的にぼくを「いい子」に仕立てあげることに専念した。ぼくから生きる力をすっかり抜きとり、ぼくを蝋人形のような冷たい怪物に仕上げた。来る日も来る日もぼくをほめ続け、そうすることによって生きようとするぼくを殺しつづけた。 ・親はたしかにきみをこれまで愛してくれた、救ってくれた。だが、残酷なようだが、全身できみを育んでくれたその親を(さしあたり)「捨てる」ことに邁進しなければ、きみの人生は開かれてこないのだ。 ・きみは自分の人生を生きるべきであって、親のために生きてはならない。 ・普通の生徒なら、先生が怒鳴り、本人が首をすくめ頭をかいていてそれでオワリである。そうではなく特別扱いされている者の苦しみ、それから逃れられない者の苦しみを知らない。 ・反抗することを学んでこなかった子にとって、反抗することがいかに難しいことか。なぜなら、誰もああせよこうせよと命じたあとで、「これに反抗せよ!」とは教えてくれなかったのだから。 ・みんなが不自然なほど攻撃性を抑圧してきた結果、多くの人が他人からわずかな注意を受けただけでパニック状態に陥る。怒りを学ぶ機会がなかったので、相手の怒りを正確に受けとる能力およびそれに対して正確に対応する能力が欠如してしまっているのだ。 ・敵全員を足腰立たなくなるまで痛めつけるには言葉しかないのだ。 ・みんなと一緒に食べると、とてもおいしい、と善人たちは口をそろえて言うが、ぼくはそうでもない。ひとりにまさるものはない。 ・現在、さまざまな少年犯罪が耳目を集めているが、ぼくは特別驚かない。むしろ、ぼくにとって驚くべきことは、こういう犯罪があると、すぐに「いまの若者は何を考えているのか分かりませんねえ」とか「昔はこうではなかったんですがねえ」と真顔で語る大人たちの群れである。「いま」も「昔」もマジョリティの典型的な生き方しか眼中にない。そこから排除されていた者の呻き声などまったく眼中にない。
私が「いい子」であったことは小学〜中学時代の自分へと続き(高校時代もか?)、親を「捨てたい」と思う願望は一人暮らしへの願望と表裏一体です。 なかなか「怒り」を表現するのに苦労していますが、先月の調査捕鯨の妨害に関して、オーストラリア大使館に抗議文を送ってみようかと考えています。これは本書にかかれている怒りの表出方法に沿っている気はしないのですが…
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