Procession Online
文責・編集 日比谷幼稚園 はと組 610

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掲載期間:2007/2/1〜2011/4/1 以降はこちら
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『世間のウソ』について
非常に痛快でした。

・胴元(国または自治体)がこれだけ暴利をむさぼれる日本の宝くじと競馬は、ギャンブルの世界標準からすると実に異様な搾取率だという事実だけでも、我々はよく知っておいた方がいいでしょう。
・飲食をめぐる安全性論議においては、どうしても一点突破全面展開というがごときゼロか百かの単純二分思考が日本では突如として暴走してしまいがちであり、人の安全を守るという名目のためなら行政は何をしてもいい、一刻も早くリスクをゼロにせよ、という莫迦げた議論が巻き起こりがちです・・・カラス数羽に鳥インフルエンザが確認された程度で度し難い大騒ぎとなり、ペットの病気や死まで当該官庁に報告せよ、などという実にタワけた通達を出してしまい、大量の”報告と相談”に忙殺される、という類の自縄自縛がかならず起きます(実際、起きました)・・・その結果、何件かの苦情が寄せられると、例によって事なかれ主義により、日本中の遊園地から箱型ブランコを一つ残らず撤去したり、ダイオキシンが話題になると日本の学校すべてで小型焼却炉を廃止し、その代わり幾多の有毒ガスを大量にまき散らす大型焼却炉を日本中に建てて”安心”したり、という例の悪い習慣性思考停止病がまたぞろ蔓延しつつあります。
・「中国の赤ちゃんを二万カナダドルで養子縁組」という国際交流万歳報道と、先ほどの「中国で赤ちゃんを売買」という凶悪犯罪報道とは、その中身の本質において、いったいどこが違うというのでしょうか・・・カナダ人がからんだら「国際養子縁組み」で、中国内でだけ「人身売買」となるのでしょうか?ぜひ日本の記者のみなさまに、お聞きしたいのですが。
・たまたま犯人が直前に「カッターナイフ殺人」のドラマを見たからと言っても、彼女以外の誰も模倣しなかったのであり、今後誰かが模倣するとすれば、それはドラマのせいではなく、むしろニュースによる周知のせいでしょう。
・誰かを殺してやりたい、と思ったとき、それを阻止するのは残念ながら「いのちの大切さ」(性善説)ではなく、露見後の法的処遇と報道による極端な生活変化へのリアルな認識(性悪説)です。


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鳥インフルエンザで亡くなった人は、日本国内にどれだけいるのでしょうか。
2011年3月2日(水) No.2726

『モテたい理由』について+α
非常に空しくなりました。
※なお、この本を読んだことによって、本日生まれて初めて男性ファッション雑誌を買うことにきめました。女性誌は曲がりに曲がってギャルママ誌になってしまったのですが・・・

・「女性誌には、虫眼鏡で見るような違いしかない」
・お金を出せば立場は上だというところも、当時から今まで日本人を覆っているナチュラルな勘違いだろう。売らない権利だって、本当はあるはずだ。
・なーんだ、男の好みって旧態依然としててほんとしょうもないわね、もしかしてマザコンって増えてるの?なんて言いそうになってるそこのあなた、ちょっと待って! 考えてみよう。女が男に魅力を感じる条件、たとえば1経済力、2守ってくれること、などなどは、「父性の属性」でしょう?自分たちが男には父性を求めながら、男から母性を求められると反発するっていうのは男女平等なこと?
・日本の女性誌は、「どう気を引くか」「自分が他人にどう見えるか」というかたちの関係性には過敏なほど敏感で、そのためのノウハウも独自のの言語規格もつくり上げた(実効性があるかどうかは疑問なのは、先に述べたとおり)が、「恋人やパートナーとどう対話するか」ということには何も語ってこなかった。だから「ノウハウ」はみんな脳内妄想じみたのである。あれだけ「モテたい」と言いながら男性への思いやりや共感のかけらもない。利用できるものはカレ友でも利用する。男を金で値踏みする。さらには男性の好みさえろくに研究せず、同性の視線を意識したつばぜり合いを繰り広げる細かいところで差異を競ううち、男性からはただ異様に見えるものが流行ったりする。
・「外国語教育がオーラル中心なのは植民地の証」と言ったのは内田樹だが、賛同する。読み書き中心ならば、すぐにネイティブの教師より立派な作文をしたりする子が現れる。それは宗主国には都合がよくないことだ。しかし口語至上である限り、「それは発音がちがう」とか「そういう言い方はしないんだな」と、ネイティブスピーカーであるというだけの人間が、優位に立てる。しかしその植民地主義を、日本人は自ら好んでどんどん取り入れる。言葉だけできたって、単にふつうのこととしてネイティブスピーカーの社会の下層に入れるだけだ。


〜・〜・〜

たんなる「語学留学」は、もともと日本語でさえうまく会話のできない私にはとても不向きなものだと思いますが、植民地ときたらなおさら話す気がなくなります。
かといって私の留学したいなという考えには大して影響しません。「話せる」事も大事ですが、私の場合それ以上に「読み書き」が大事になるからです。
そういえば高校時代かなり英語の訓練をさせられましたが(その当時ほとんど身につかなかったが)、受験英語とは言っても読み書きを中心に鍛えることは植民地的にならない観点からすれば正解だったのかもしれません。

プラスαが書けそうもないので、次ページへ『カイン』についての補足へ・・・
2011年3月2日(水) No.2727

『カイン』について+α
このことは直接的には『カイン』で気づいたことではないのですが、似たような内容なのでまぁいいかなと思います。

私は中島シリーズを読んでいて、自分の「短所」を改善しようと思うことが無くなりました。滑舌が悪かったり顔面のニキビがひどかったりすることに対して、これらを「正常に近づける」努力を、ほとんど放棄できるかもしれません。それが私の背負うべき運命であって、その「短所」とイヤになるまで向き合い、それを伸ばし(ここでは”放置する”が適切かな)、そのことから得られる(主にマイナスの)ことが自分の人生を豊かにする、という発想が私に与えられました。

この発想を最も痛烈に感じたのは、『ぐれる!』で、中島氏が油絵教室に飛び切りの劣等生として在籍し続けている場面でのセリフ:自分がなんでこんなに上達しないのかなあ、ということに興味を感じるようになり、ずっといることにしましたを見たときのことでした。

ちなみに自分の顔面の醜悪さについては今まで明言化を控えてきたつもりです。気にしているからゆえかけなかったと言う訳ですが、私の周りで「肌」に関する話しが聞こえると、ほとんど消えてしまいたくなるか、その場から逃走したくなります。
今でも鮮明に覚えている恐怖体験としては、恒一の臨海実習時、朝食の席で、某N先輩が、私の隣にいたK氏に言ったセリフ:きれいな肌でいいなぁ・・・
が非常に痛烈でした。

恐らく発音と顔が汚い事は「モテ」の要素としてデメリットでしかないと思うのですが、私としてはかえって、「獰猛な恋愛資本主義」者たちとうまく距離を置く事ができると考えています。そうした彼女?達から値踏みされる心配もなく判断の対象外となることはむしろ喜ぶべきことです。

かといって―多分自分には起こらないでしょうが―「あなたのすべてを受け入れる」と言われるのも困りもの。それは立派なウソだからです。
ki、chiなどの発音が困難なものを馬鹿にして、その拙い発音を真似できるのも、あばた面だのクレーターだの命名できるのも、どちらもその音を以上と判断し、その異常な顔を見ることのできる「健常者」の仕業であり、これらは真実です。よって彼らから、私の身体上の「欠陥」として写っているものに対して、「なんとも思われない」と言われても、それがウソにしかきこえません。
それは、自らのコンプレックスと日夜対峙している人に対する最大級の侮辱にほかなりません。そういう「健常者」達は、発する言葉の暴力性に決して気づきません。

ですから、最近暴走気味―「モテ」に関して否定しまくり、自分の短所を語り始める―なのは、読書により新たな視野を獲得たためであり、随分気が楽になったからなのです。
もう一つ余分なことをかいておけば、私の卒業アルバムの写真は自分の中の「屈辱的な一枚」なのですが、「ベストショット」が載るよりもずっと印象が強く(※注 あくまで自分への印象です)残ることになり、その意味で卒アルに載る価値があるのだと考えられるようになりました。

と言うわけで、今からファッション雑誌に対して吠えます。
2011年3月2日(水) No.2728

オシャレに関心のない者が読むファッション雑誌

※今日は馬鹿みたいに記事を更新しまくってます。

本日は3時半に起床し9時過ぎに出かけるまで読書に浸ることができ「理想の朝」に少し近づく。昨日やりのこした5店舗への訪問を完了し、64冊の書籍の購入を遂げた。雑誌2冊のみ¥150だったが、ほかはすべて¥100で買い、少しくらい読む気が起こらない本があっても良いだろう。今回一番の失敗は『体育界系恋愛論』で、タイトルにつられて批判的に読もうと思ったが読めそうもない・・・

さて、私は「着る服への悩み」を浪人生になって放棄した身ではあるが、今日生まれて初めてファッション系雑誌を2冊買ってみた。これが一冊¥150したもので(これ以上安くならないようだ)、女性と男性各一冊ずつ買おうとしたのだが、女性誌で面白そうなものを見つけられなかったので”ギャルママ”雑誌を選んでみたが、男性誌は普通のものである。
もちろんここに書くからには、出版社が期待するような読み方は全く期待してはいけない。それにそんな読み方をするようであれば不審者スタイルで女性ファッション誌の前で品定めなどできまい。たしかに近くに若いお母さんがいたときは何となく居辛かったが・・・

まずギャルママ誌について。なぜか悲しくなって涙が出てくる。31歳でギャルというのは、私には到底理解できないらしく、無性に切なくなる。
あと、子どもの名前がほとんどルビなしで読めないのが気になる。その名付け親の彼女達の名前は一発でだいたい分かるのだが、ここの雑誌を眺めている限り自分の子どもをエンターテイメント化しすぎてる気がする。モデルさんの顔を眺めるほどに、自分は「人間」ではなく「人形」を見ている錯覚に陥る。人形が人間を産む事がありえるのだろか?
マタニティーヌードというのには抵抗を覚える。自分が妊婦の当事者になると見方が変わるのかもしれないが、少なくともそのことに憧れは覚えないし、他人の姿を積極的に見たいとは思わない。
あと子連れのお母さんのファッションに対して「フェロモン全開や!」と記述するのは(生物用語として無理があるとしても)不適切かもしれない。考えてみれば世の中には「警報フェロモン」が存在するのだから、「わいは子持ちの女やさかいに、手え出さんといて〜」というメッセージを発しているのだとすれば非常に秀逸なのだが。

次に男性誌の方では、「女のコはスーツが好き」伝説を検証しているが・・・スーツを着てさえすれば脂ぎった中間管理職のおっさんでもあまり問題がないような書き方をしている。女のコはスーツが好きであって、スーツを着ている人物に対する評価が欠落気味だ。そもそも「女のコ」という表記に、男性が女性を不当に低く見ている感じがして気に食わないのだが。この雑誌によればスーツを着ると「モテ」るらしいので、無性にスーツを着たくなくなる。大学の入学式は出たくない。
私が作業服を着続けるのはスーツと逆に自分を「低く」見せられる気がするからでもある。初対面の人が私を見て、つい1年ほど前まで都内の有名?進学校に在籍していたと言って信じてもらえるだろうか。
この手の雑誌は、私のような「ダサい」恰好をし続ける青年を「モテそうな」、或いは「正常に」近づけるためにある種の人たちから利用されるのであろうが、私は読んでいる間ずっとイライラし続けてしまった。酒(ワイン)の力で「友人との距離を縮める」というのも、どうしてワインであるのが大事であって、水ではいけないのだろうか。いや、実際水でも大丈夫なのに、世間はワインを消費することのほうが「正常」であるように見せ付けてくる。その傲慢な態度が頭にくるのだ。

―なら雑誌なんて読むなよ、と言う意見もあるでしょうが、それは「間違い」です。いくら読書で発想を得たとしても、雑誌を見(て応用し)ないと、そういう怒りを自分の中で具現化できないのですから。
非常に悪趣味だと自分でも思いますが、こういう雑誌を買って怒るのも面白そうなので、ちょくちょくやってみることにします。

このブログは同世代の方も多数見ているらしいので、ファッションに関する意見があったら教えてもらえたら、私は面白いなと思います。
2011年3月2日(水) No.2729

浪人生610号  2011/03/02/17:13:04   No.2730
本日は記事を4つ書きました。後半二つが過激です。

この画像は例のギャルママ雑誌にあったのですが・・・
子どもにご飯を食べさせる事の方が、ママがキメ顔で写真に写ることより優先すべきなのではないでしょうか。割り箸が危なく見えます。
写真を撮るのは構わないですが(雑誌の趣旨としてはOKだと思います)、それを誌面で公開しなくてもいいと思うのです。ここでこうやっていちいち批判される事もなくなるので…

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明日、久々に渡良瀬遊水地でマイマイ探しをしようと思ったのですが、ブログ更新に気をとられすぎて準備が…一日延期しようかな…

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