昨夜は数学・物理の宿題に取り組む。そして少し見通しを立ててみる。 朝はというと、何だか疲れているらしくて7時32分頃目覚める。朝食後、2時間かけて臨海実習のレポートの残りを仕上げるのだが、完成度のあまりの低さに泣けてくる。英語の予習を1時間ほどした後、PCが使える状況になったので2時間ほど旅行記の制作。 四国に行く動機 旅立ち 昼食後、身支度にあまりに時間がかかって(どう見ても時間を有効に使えていない)どうしようもない妹にいらいらして、こちらはその数倍早い身支度で多摩川台公園に向う。しかし到着してみてまずガッカリしてしまう。花見の人の多いこと!そして”多摩川八景”にあたる眺めを邪魔していた樹木が切り払われていた。いずれにせよ、ここが大田区の一公園であるから個人的な理由で花見をするな、木を伐るなとは言えない。しかし、これらは多摩川台公園の自然環境の意味を知らない無知な人間のエゴのようにも思えてしまうのだが。考えすぎている気がする。まあゴミだけは捨てるなよ。 一通り園内を歩いてみる。昨年のこの時期はウバタマムシもいたらしいが、今日はえらく少ない。僅かに2匹のアオオサと1匹のセンチコガネを確認したのみとは...たまたまいなかっただけだと信じなければやっていけない。で、アオオサのうち1匹はひん死で持ち帰ることになったが、2匹目を見つけたところで撮影しようと思っていると、5歳くらいの女の子と3才くらいの男の子に興味を抱かれ、ここぞとばかりに英才教育を施す。そしてなんと日本人ではない女の子も興味を抱くのだが、私のあまりの英語力と会話力の無さに意思疎通を図ることに失敗。オサムシについて英語で子供にわかりやすく説明できるまでにはあと何十年かかるのだろうか...当初は採集しようと思っていたのだが、そのままにしておくことに。 私はこどもと接する時はたいてい【外発的】なものであり、特に中学時の職場体験での保育園訪問は気が進まなかった。しかし、どうやら身近な昆虫を通じてなら、やろうと思えば彼らと同じ視線で、それでいて約10年の長生きで得た僅かながらの知識を教授しながら【内発的】に接することが出来る。そこで気づいたのは、今彼らが持っていて、10年後の若者になると大方の人間から消え去ってしまうもの。昆虫に対する好奇心だ。 女の子が一生懸命に走り去るオサムシをつまもうとする。今は実物がそこにいなくとも、写真を見せただけで走り去ってしまうようなそこのあなた!も、10年前、あるいはもっと昔、幼少の頃は公園や土手に行ったり、あるいは裏山や神社で虫捕りに興じていたはずだ。私が今日この子達に教えたのは、数多くいる昆虫の中のたった一つの、オサムシについて知られているほんの些細なことでしかない。それでも彼らにとっては見ること聞くことが恐らく初めてで、大きな興味をそそられたことは間違いないだろう。今日私が教えたことを果たして10年後まで覚えていてくれるかは知らねども、オサムシにとどまらず広く昆虫に対する興味関心のタネは蒔いておいた。この後彼らはどう過ごしていくのかも知らないが、10年後も変わらない好奇心を持っていてくれれば...以上、物心ついたころから完全に【内発的】に昆虫に狂っているお兄さんからの、珍しく真面目に考えてみたメッセージ。 思えば、私が昆虫に対する種種の薀蓄を興味深そうに聞いてくれる人(この場合、一般の人たち)は、もはや彼らこどもたちしかいないのではなかろうか。この一年間過ごしてきた同世代の人たちに期待することは既に手遅れだったのか。いや、まだ1年生の中には逸材が埋もれている可能性があることを忘れてはならない。 帰宅して、鉄道画像掲示板に入り浸る。午前中はなかなかいい調子で勉強していたというのに…夜は少し気合を入れなおさねばならない。
明日は午前テニスがあるらしいが、なかなかどうして予報が雨なのだろうか。にくきもの、休日の雨(この考え、昨年の今頃から語り継がれているらしいです)
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